2022/07/08

吸う息も吐く息も私たちの友達です

 

















2018,5,3「富士山リトリート」


1日目_オリエンテーション(後半)



ブラザー・ファップトゥ




私たちはずっと走り続けてきたので疲れてしまったのです。

何かすることが癖になっているので、

何にもしてないということは効率的でない。

周りからジャッジされることを恐れます。


実践には休むことがあります。

吸う息、吐く息に気づくとは、休んでいることです。

ずっと働き続けてきました。

だから身体中に痛みがあります。

なんで、ここに痛みがあるんだろうと...

日本人は温泉に行きますね(笑)



身体は温泉に行ってリラックスできますが、心はいつ休むのでしょうか?

それがリトリートです。

リトリートは知識を集めるものではありません。


私は初めて日本にきましたが。

皆さんはペンを持っています。

それを読み返すでしょうか。

本棚に埃をかぶったままになるかもしれません。

問題が起こった時にノートを探すかもしれない。

実践は、問題が起こってからではなく、毎日するものです。



ある先生と弟子の話。

歳をとった先生と若い弟子。


弟子は若く、お寺の中で修行して遊ぶものがない。

「先生、ピクニックに行きませんか?」と言いました。

先生は「先生は忙しいから今度にしよう」と言った。

弟子は、次の機会にしようと言ったことを覚えてました。

1〜2週間が経った後に、また言いました。

「じゃあ来月にしようか」と先生が言った。


ある時、マーケットへ行った。

一緒に買い物をして、お寺へ帰ってきた。

目の前から多くの人がやってきた。


弟子は誰かが亡くなった時に、体を担いで墓まで行きました。

弟子は「あの人たちは何してるんですか?」

先生は「ピクニックしてるんだよ」(笑)


皆さん、亡くなる前にピクニックしてください。

今ここでしてください。


自分の吸う息も吐く息も感謝してください。

当たり前なのに、どうしたらいいと思うでしょう。


友人が病院へ行きました。

喘息で入院して、お見舞いへ行きました。

酸素マスクをして呼吸をしてました。


「僕は、ちゃんと呼吸ができてないんだよ。

君はチューブを入れてないからラッキーだよ」と言いました。

彼も、チューブなして呼吸できたら幸せですね。


呼吸ができることはラッキーです。

吸う息も吐く息も私たちの友達です。


私たちは奇跡的に呼吸ができるのです。


弟子と先生のピクニックの話がありました。

亡くなった人には、何億円も払っても息をすることはできませんね。

だから息をすることは大事なことです。


プラムビレッジでは、怒りがある時には、呼吸に戻ります。

怒りを表現せずに、呼吸しながら歩きます。


自分自身を変容するには、生きてなければなりません。



(明日の朝、坐禅の説明)


座るのは結跏趺坐があります。

無理な人は、半跏趺坐があります。50%オフです(会場・笑)





結跏趺坐…両方の足首を太ももの上に組んで座る
半跏趺坐…片方の足首を太ももの上に組んで座る


1日目・前半はこちら


ーーーーー

2018,5,3 富士山リトリート

Peace is the Breathing, Joy is the Walking

リトリート・プログラム










2022/07/07

今ここにあれば過去も未来も手放せます

 
















2018,5,3「富士山リトリート」


1日目_オリエンテーション(前半)



ブラザー・ファップトゥ



今日は、歩く瞑想がありました。

歩く瞑想の時は、みんなで歩きました。


その後は、食べる瞑想がありました。

みんなですることで、集合的な力が生まれます。

自分だけで実践することは、難しいと思う人もいると思います。



私たちは、みんなで実践することを、川の流れのようにと言います。

私たち一人一人が、ひとしずくの水です。

あなたが、一滴の水として、実践していれば乾いてしまいます。


虎というのは森の中に住んでいます。

虎が森の中から出てきて、街に行くととても危険です。

警察とかに捕まってしまうかもしれない。

私たちが実践する時も同じです。

集合的な力が必要です。



ここでやっている実践の主なものは、マインドフルネスです。

マインドフルネスをプラムビレッジでする時は、いろんな言葉を使います。


「私は家についた(I have arrived)」という言葉を聞いたと思います。


それをプラムビレッジの印(通訳まま:ガーター偈?)と言います。

ついたということは、今ここに着いたということです。


普段私たちの体は、ここにいても心はどこかへ行ってしまいます。

私たちの家は、ここにあるのです。

吸う息吐く息を、ここを向けると戻ってきます。

吐く息も、ここにあります。

吸う息も吐く息も、とても素晴らしいものです。


だから今回のテーマは、

今ここにあれば過去も未来も手放せます。


常に明日何をしようかと考えている。

計画をしては、いけないと言ってるのではありません。

計画を立てながらも今ここにしっかり根付いているのです。


未来のことを考えると不安になってしまいます。

過去のことを考えては心配します。

幸せは未来にあると信じて、給料が高ければ幸せになれるとか。

でもいい仕事が手に入って、実際はどうなるでしょうか?


実際は、もっと先のことを考えてしまう。

喉が渇いたみたいなものです。

未来の不安とか過去への後悔を手放すのです。

今あなたが生きる瞬間は、ここにあるのです。





鐘を招く





1日目・後半へ続く(こちら)



ーーーーー

2018,5,3 富士山リトリート

Peace is the Breathing, Joy is the Walking



1日目・夜の法話...ブラザー・ファップトゥ