2018,5,3「富士山リトリート」
1日目_オリエンテーション(後半)
ブラザー・ファップトゥ
私たちはずっと走り続けてきたので疲れてしまったのです。
何かすることが癖になっているので、
何にもしてないということは効率的でない。
周りからジャッジされることを恐れます。
実践には休むことがあります。
吸う息、吐く息に気づくとは、休んでいることです。
ずっと働き続けてきました。
だから身体中に痛みがあります。
なんで、ここに痛みがあるんだろうと...
日本人は温泉に行きますね(笑)
身体は温泉に行ってリラックスできますが、心はいつ休むのでしょうか?
それがリトリートです。
リトリートは知識を集めるものではありません。
私は初めて日本にきましたが。
皆さんはペンを持っています。
それを読み返すでしょうか。
本棚に埃をかぶったままになるかもしれません。
問題が起こった時にノートを探すかもしれない。
実践は、問題が起こってからではなく、毎日するものです。
ある先生と弟子の話。
歳をとった先生と若い弟子。
弟子は若く、お寺の中で修行して遊ぶものがない。
「先生、ピクニックに行きませんか?」と言いました。
先生は「先生は忙しいから今度にしよう」と言った。
弟子は、次の機会にしようと言ったことを覚えてました。
1〜2週間が経った後に、また言いました。
「じゃあ来月にしようか」と先生が言った。
ある時、マーケットへ行った。
一緒に買い物をして、お寺へ帰ってきた。
目の前から多くの人がやってきた。
弟子は誰かが亡くなった時に、体を担いで墓まで行きました。
弟子は「あの人たちは何してるんですか?」
先生は「ピクニックしてるんだよ」(笑)
皆さん、亡くなる前にピクニックしてください。
今ここでしてください。
自分の吸う息も吐く息も感謝してください。
当たり前なのに、どうしたらいいと思うでしょう。
友人が病院へ行きました。
喘息で入院して、お見舞いへ行きました。
酸素マスクをして呼吸をしてました。
「僕は、ちゃんと呼吸ができてないんだよ。
君はチューブを入れてないからラッキーだよ」と言いました。
彼も、チューブなして呼吸できたら幸せですね。
呼吸ができることはラッキーです。
吸う息も吐く息も私たちの友達です。
私たちは奇跡的に呼吸ができるのです。
弟子と先生のピクニックの話がありました。
亡くなった人には、何億円も払っても息をすることはできませんね。
だから息をすることは大事なことです。
プラムビレッジでは、怒りがある時には、呼吸に戻ります。
怒りを表現せずに、呼吸しながら歩きます。
自分自身を変容するには、生きてなければなりません。
(明日の朝、坐禅の説明)
座るのは結跏趺坐があります。
無理な人は、半跏趺坐があります。50%オフです(会場・笑)
半跏趺坐…片方の足首を太ももの上に組んで座る
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2018,5,3 富士山リトリート
Peace is the Breathing, Joy is the Walking
リトリート・プログラム