2018/04/09

ビギニング・ア・ニュー新たな始まり/法話:富士山リトリート












法話 ビギニング・ア・ニュー    beginning a new

2017,5,5
ブラザー・ファップ・カム



ペンを見ると、こちらが左、こちらが右。
でも、私から見ると、こちらが右、こちらが左です。
正しさで争いになるかもしれない。
ビギニング・ア・ニューは「私は部分的に正しい」ということ。


他の人を傷つけた時、恥があれば気づける。

不健全な話の場合、
阿頼耶識の中に、プライド、傲慢さがあると、
良くない行為をしていることへ、目隠しになってしまう。

ビギニング・ア・ニューは、深く聞く、愛をもって話すことが土台。

深く聞く、五戒。
マインドフルじゃない話し方で、苦しみが起きる。
人の話を聞けない状態。
慈悲をもって人の話を聞く、苦しみを超越するために。
自分の中に平和を、周りの人のためにも。
言葉は苦しみを作ることもする。
怒りが私の中で現れた場合、私は話さないことを誓います…

18年くらい前に、タイは怒りの問題があった。
私は事務作業を頼まれてた。
学びたてだったので、タイにやり方を教わった。
それなのに、却下された。
数名の若い僧たちが、やり方を却下されたことへ怒っていた。
アテンドして、お茶を出した時、タイの顔に怒りの表情が現れていた。
怒っていたので、私はお茶を飲まなかった、何も言わなかった。
タイと一緒にクッションを持ち歩く瞑想へ行った。
ブッダはこう言った、あなたが苦しんでいる時は、愛する人...(メモ追いつかず無し)
タイに、ムカついてイライラしてた。
春の日、花が咲き居心地のいい日。
ある場で一緒に座った。
空に指をさし、これ美しくない?と言った。
彼は寝転んだ。
私も寝転ばなければならなかった。
もう、怒りはなくなった。
彼は私を抱きしめて、なぜ怒っているの?美しく空を味わおうよ、と。

正しいと思っている時、
自分が、現実をどう捉えているかを、見つけることが大事。
サンガが、どう機能しているかを見て、私の現実を知る。

私はこっちを左、あなたたちからは右。

ビギニング・ア・ニューは新しいスタート。
多くの場合は、相手のせいにする方が簡単。
経験から言う、自分を見つめ直す方が効果がある。

目的は、困難な状況の中で関係を修復すること。

相手が、優しく受け入れてくれない人の場合もある。
タイは、顔を見て悲しんでると分かってくれた。
他の人は気づきがないかもしれない。
だから、フォーマルな方法が必要かもしれない。

うまくいってない関係性の中で、自分が傷ついたことを伝える時。
最初に、ダンスをするには2人必要だということ。

問題は、自分の視点、相手の視点。
自分の学びにもなるかもしれない相手の視点。

例えば、おでこにマークがついてる。
他の人がマークがついてると言う。
私は嬉しくありません。
私たちは防衛的です、守りに入る。








関係性の修復のステップ

①water the flower
相手の良い所を言う。
お花に水やりをする。
バラの花のように、香りの良い花を育てることです。

相手の嫌な性質話す前に、相手の良い性質に話します。
真実がそこにあること、お世辞ではない。
相手の喜びを育てる。

②express shortcoming
自分の短所を表現する。
居るだけで相手が怒った場合。
私が、こういうことをしたから、あなたは不幸せになったかもしれない。
自分が誤ったことをしたかもしれない。
相手に伝えやすくなる。
相手によって苦しんでると言いやすいかもしれない。

③express our hurt-share the fact
事実を述べる。
相手を責めずに、事実だけを伝えると、相手も状況を受け入れやすい。

④ask for support
長期的なサポートを求める。

私は怒りっぽくって、怒りの種になることを言わないでください。
私の願いは、私の中の平和や喜びが生まれるようなサポートをお願いしたいです。

悪い種が育たないようにすること。
良い種が育つように。
自分の中の変容を助ける。

「私の怒りを、呼び起こす行為をしないでください」だけだと爆弾と暮らすことになる。
ストレスの状況を作ってしまう。

こっちが左、向こうが右で不幸が起こるかもしれない。
なんでその人が怒るのか、悲しいのかを見る必要がある。

ビギニング・ニューをして2日後に、同じ状況になるかもしれない。
相手が怒る恐れてることに入り込む必要がある。

プラムビレッジで大きな嵐の時、僧院に電気も水も流れなくなった。
事務局スタッフだったので大量の水を買った。
一人一人のブラザーの部屋へ水を配った。
ある男性が病気で倒れてるのを見た、彼にボトルを渡した。
嵐の後に、彼が言った。
水を渡してくれただけで、親から見捨てられる恐れを超えたと言った。
32年間も引きずっていた恐れだった。
病院にいた8才の時、親に見捨てたらと思った経験があった。

今の恐れは、昔にルーツがあるもの。
なぜ苦しんでいるのかを、見つける必要がある。

ゴメンナサイだけだと表面の話。
深くに眠っていることがあるからです。