2021/09/07

愛について②自己嫌悪・嫉妬・執着から喜びへ

 





2018,12,30 質疑応答⑤


愛について① の続き


自己嫌悪、自分を嫌いになってしまうことについて。


2つの現実があります。庭の話と同じです。

いくつかの樹が枯れたとしても、すべての樹が枯れてしまうわけではありません。

あなたは1本の樹ではなく、庭全体があなたです。

庭全体を見れば、本当に素晴らしい所があります。

体も庭です。心も庭です。

体も心も本当に素晴らしいものです。

そこにあなたが気づいていけます。

例えば、この指を嫌ったとしても、他の指もダメなわけではありません。

すべては美しいのです。

あなたが自分の眼を嫌いだとしても、誰かが眼が素敵だねと言ってくれるかもしれない。

でも、自分が嫌っていると、眼を醜いと見てしまいます。

そんな風に私達は物事を見ています。

物の見方を変えていく必要があります。

気に入らない鼻だって、そんなに悪い物じゃありません。

眼は美しい。私たちの体にも心にも、どれほど多くの美しいものがあるでしょうか。

私たちの体や心は、様々なパーツで構成されています。

その中に気に入らないものがあったとしても、全体そのものに意識を向けてみてください。

それは、ほんの一部にしぎません。

だから自分を嫌いだ自己嫌悪に飲み込まれそうになった時に、このような見方を思い出してください。

自分自身への見方、世界への見方を変えていけます。


だから、愛することが難しいと思ったとしても、小さなことから始めれば簡単です。


例えば、とてもフレッシュで愛らしい人に出会ったとします。

彼女のそばに行って、愛さなくても、本当に美しいエネルギーを受け取ることができる。

でも本当の愛とは、苦しんでいる人に会った時、怒っている人、親切ではない人に会った時、その人を受け止めていく。

それを学んでいくこと、それが真の愛です。


これが愛とは嫌悪についてでした。


愛とは嫌悪に変わることがあります。

ケアしたり大切にすることができない。

これは多くのカップルの中で起こりますね。(会場、笑い)

新婚の時は天国で本当に幸せで、最初の1年間はハネムーンを感じるけれど、3年目には、どこかへ消えてしまいます。

愛をどうやって育んでいったら良いのか、知らないからです。

そうすると嫌うように変わってしまいます。

ですから、本当の愛の要素について、仏教では伝えています。

愛、優しさ、誠実さ、

その人と、どのようにして友達になっていくか。

それが友達だろうと妻だろうと、パートナーであろうと、その人を友達として見ていく。

友達としてお互いに、いつも苦しめることをしない。

いずれ「彼女は、彼は、私のものなんだ。彼女は、彼は私を愛しているのだから。」と思うようになるでしょう。

その感情を持つと苦しみに変わってしまいます。

愛とは優しさと誠実さです。

あなたは、その人のために、そこにいる。あなたはその人に愛を注いでいる。無条件で。

その人が苦しんでいる時に、その苦しみを認める。

その人が困難な状況を乗り越えていくのを、サポートする。

観世音菩薩の在り方で、話を聞いて、そこに居る。

それが慈悲の実践です。


もしも、愛する人が苦しんでいるのに、助けることが出来なかったら、

もしも、その人から、あなたはいつも言い訳をして、そこにいてくれないと言われたら、どうでしょうか。

愛することは、そこに居る、ということです。

その人が困難乗り越えるのをサポートすることです。


慈悲と喜びについて。

喜びは3つの要素からできています。


喜びに満ちている。自分自身が喜びそのものになること。

この実践は、他者に執着しない、他者と比べないことです。

嫉妬しない。

もしも、誰かが素敵なことをしてる時に、あなたもその人の喜びを、一緒に喜ぶ。

シスターが良い法話をして、人々がとても素敵な先生ね!と私(ブラザー)に言ってきたら、それを見て嫉妬することもできます。(会場、笑い)

それは真の喜びではありません。

人々から素敵な法話だと聞いたら、本当に私も喜びを感じたいです。

それが真の喜びです。

彼女の中に私がいて、私の中に彼女がいます。

これが、仏教の喜びの道、実践です。


この喜びは比較や嫉妬から自由なものです。

愛と執着も同じです。

真の愛は、4つの要素をまとめたものです。

あなたの真の愛の中では差別する場所はありません。

どの人に出会っても、自由に受け止めます。


例えば、あなたの心の牢屋に誰かを閉じ込めることもしません。

家族でも同じことです。

子供が何人かいて、良い子も悪い子もいる。

この子は、良い子で親切で規則も守る。

この子は、ダメな子でイライラする。

何人か子供がいると、良い子と気に入らない子に感じるのは、比較したり執着している状況です。

良い人は良くて、そうじゃない人は好きじゃない。それも執着です。

愛は、その人が美しいか美しくないとか、良い人か気に入らないとか、そんなことではありません。

ただ、彼女や彼の、ありのままの姿を愛することです。


もしも自分が充分な平和や慈悲に深く満たされていれば、その人が変容することをサポートできます。

もしも、あなたが怒りやストレスを抱えていて、嫌悪や差別の気持ちを持っていたら、その人の変容をサポートすることはできません。

人々は、そんな人を受け止めること、変わることは簡単じゃないと思うでしょう。

もっと上手な方法を考える必要があります。

相手を助けようと思ったら、受け止めていくことが、最初のステップです。


仏教でいう愛は、そういうものです。執着とは違います。

執着は、愛したら愛するほど、自分は苦しくなり、相手も苦しめてしまいます。

もしも誰かと大切な関係があるなら、あなたはたずねるでしょう。


私はあなたを愛せていますか?

私の愛し方は、あなたを喜ばせて幸せにできていますか?


そんな質問をしたら、どう感じますか?充分なスペースがあると思いますか?

あなたは相手に、こんなふうにたずねることができます。

愛があっても、それをどうやって、どんなふうに上手く使っていったら良いのか。

それを知ることが必要です。

だから、愛がわからないと、いつのまにか嫌悪に変わっていってしまいます。


愛を手放さないでください。

私たちの人生は、愛によって成り立ってます。

愛がなければ生きることができません。

愛は人生で大切なものです。


僧侶である私たちも愛を持ってます。これはマインドフルな愛です。

もしもマインドフルな愛がなかったら僧侶として生きることはできません。

愛は必要なものです。




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